脳動静脈奇形(AVM)開頭手術と聴神経腫瘍ガンマナイフ

脳動静脈奇形(AVM)と聴神経腫瘍の闘病の記録です。

2013年12月退院

11月26日の再手術のあともしばらく感染症による40度近い高熱が続き一時期はとても危なかったようだ。回診の際先生たちが「あれを使うしかない」「いやあれは」などと話しているのを聞いていた。結局その抗生薬を使用して熱が下がりなんとか助かった。この間はずっと毎朝の血液検査でcrp(C反応性たんぱく…体内で炎症が起きていると値が上がる)の値が下がることばかりを願っていた。

頭の手術部分も大量の膿が発生して触るとぶよぶよして張っている。それを大きな注射で何本も抜き取ってもらっていた。当初は頭に大きな注射器を刺されるのはとても怖かったが、抜き取ってもらうと圧迫感が無くなってとても楽になるので最後のほうはそれが楽しみですらあった。

また、最初の手術の後、残念ながら右脚が動かないという障害が残ることになった。トイレで水を流そうとして右脚が付いて来ずに便器の中に脚を突っ込んで転びかけたということもあった。そして計算や記憶などの知的な能力も衰えていた。これについては術後のかなり早い段階からリハビリがスタートした。リハビリ室に赴いてOT(作業療法士)、PT(理学療法士)の方々と色々な運動やテストなどをすることで杖をつけばかなり歩けるようになり、知能もほぼ以前と同様まで回復した。

12月26日退院する。熱や血液検査の結果も安定して膿も貯まらなくなり、抗生剤も点滴でなくて飲み薬のタイプがあるのでそれを処方してもらった。ようやく正月前に退院することができた。最後のほうは病院の食事が口にあわなくなり匂いを嗅ぐだけで気持ちが悪くて食べることができなくなってしまったのでとにかく退院したくてしかたがなかったが、担当の看護師さんがその様子をみて少しでも食べてくれるようにご飯をお握りにしてくれていたようだった。今その話を思い出しても涙が出てくるほどありがたいと思う。現在コロナで最前線で働いている病院関係者の方のご苦労が語られているが、本当に皆さんの尊いご献身があって我々の命は救われているということは忘れられない。

2013年11月開頭手術

10月に塞栓術をして以降の記憶はほとんど残っていない。母によるとこの間は頭痛や吐き気を訴えることがあったものの元気そうにしていたとのこと。開頭手術の前日には姉や母が持ってきてくれたお土産のケーキなどを食べていたとのこと。

11月11日開頭手術当日。朝からの手術スケジュールだったようだが部屋で眠くなる注射を打たれてからのことは全く記憶にない。深夜にまで及ぶ14時間の大手術だったとのこと。執刀医の佐野先生は高齢でご自身もガンを患われていたと聞いたが長時間の手術を担当してくれたことに心から感謝しています。家族や彼女も皆周辺のビジネスホテルに宿をとって手術が終わるまで病院にいてくれたとのことで感謝のほかない。

目が覚めたのは翌日かその後かわからないがICUの中だった。窓もなかったような気がするがとにかく時間が何時なのかわからない部屋だった。ICUは看護師さんも誰もしゃべらないのでまるでSFのような異様な世界だった。目が覚めたら姉が来てくれたのは覚えている。とにかく体がしんどい。体を固定されていて寝がえりが打てないのでまるで拷問でも受けているような苦痛でとにかく早く普通の病室に帰りたいとばかり考えていた。今回の手術において一番苦痛だったのがICUでの時間だった。

手術の最中ずっと長い夢を見ていたのだが、なぜか中国かどこかの高層のホテルの部屋みたいなところで家族や親せきたちと快気祝いのパーティをしていたところ途中で怪しげな連中が押し入ってきて縛られて自由が利かないというような夢だった。目が覚めたとき頭を無意識に触らないように拘束衣を着せられていたのでそのような夢を見たのかもしれない。あとなぜか夢の中でタケモトピアノのCMがエンドレスで流れていて、今になってもあのCMを見ると微妙な気持ちになる。とにかく悪い夢ばかりずっとみていた。

普通の病室に戻ってからはずっと頭痛に襲われていた。当初は飲み薬を貰っていたが、耐えられないほどではないから大丈夫かと思っていたが熱も下がらず血液検査の結果も良くなかったようで感染症になっているとのことで11月26日に再手術をすることになった。手術の際に頭骨を切り抜いて穴をあけて、もとに戻した骨が汚染されていたようでその骨を取り去りその部分にチタンのプレートを入れることになった。しかし、このプレートはあくまで仮に作ったものでちゃんとしたものではなかったため触るとペコペコしたり本当の骨とのつなぎ目が痛かったりした、また、頭をかくと響く音が普通の骨と違って軽くて良く響く感じがしてすごく違和感がある。後にこれを入れ替える手術をすることになる。

 

 

2013年10月塞栓術

10月1日氏家先生と打ち合わせ。1回目の塞栓を10月25日、2回目を10月31日、脳血管撮影を11月の第2週に行い、開頭手術を11月11日に行うとのこと。

10月3日妹夫婦がお見舞いに来てくれた。

10月5日一時帰宅。父が車で迎えに来てくれた。

10月6日電車で病院に戻る。蒲田でブックオフに寄り、日高屋でラーメンを食べる。ものすごく久しぶりにラーメンを食べた。一人で外食をしたこと自体久しぶり。

10月8日一時退院。彼女が迎えに来てくれた。このころには体調自体は落ち着いており、手術までのしばらくの間実家で過ごすことになった。

10月21日再入院。両親に車で送ってもらう。病院付近にはあまり食事ができるところがないので途中和食さとというファミレスで食事。術前、家族でする最後の食事、母がおしるこを頼んだら水がカルキ臭かった。

10月23日彼女がお見舞いに来てくれた。

10月25日いよいよ1回目の塞栓術の日。鼠径部からカテーテルを入れるので事前に剃っておかないといけないのだが、看護婦さんと連携がうまくいかず直前に慌てて剃ることに。全部を剃るわけではなく一部分だけでいいらしい。あと、途中でトイレに行きたくならないように尿道カテーテルというのを入れられるのだがこれがメチャクチャ痛いしずっと違和感あるしで大変だった。ベッドに寝たままいつもMRIを撮る放射線科に運ばれる。放射線科の中にアンギオ室がありそこで行われる。比嘉先生と助手の方が数名でやっていたと思う。クラシックが流れていて落ち着いた感じ。意識が覚醒した中で行われ、途中先生が助手の方たちと「トイレのときすごい血管に負担がかかるらしいよ」などと雑談しながらされていてちょっと落ち着く。途中からはあまり覚えていないが、痛かったり、先生たちが途中ざわついて怖い思いをしたということは一切なかった。カテーテル手術は血管をスキャンしながらカテーテルを進めていく手術だが、道路地図を事前に覚えておかないとスムーズにドライブできないように血管の構造をちゃんと覚えておかないとスムーズにカテーテルを目的の場所まで進めることはできない。強引に押したりすれば血管を破って体内で出血することになりとても危険だ。また、常にスキャンしながら術式を行うため、放射線を大量に被ばくすることになるというリスクもある。そのような難儀な手術において比嘉先生はこの分野ではとても優秀な医師で雑誌などでも神の手として取り上げられているらしい。無事に手術をしてくださり感謝のほかない。手記はこの日で終わっている。

10月31日2回目の塞栓術。このときのことはほとんど記憶にない。

 

 

2013年9月入院

9月1日~3日自宅で静養。胃痛に悩まされ通常の食事が採れない。食事はウィダーおかゆ、玄米クリームなど。精神的にもビクビクしているような状態。夜中に目覚めてデパスなどを服用する。

9月4日総合新川橋病院の佐野先生を受診。1回でやると負担が大きいので3回に分けて塞栓をしようとのこと。後大脳動脈(PCA: posterior cerebral artery)と前大脳動脈(ACA: anterior cerebral artery)を同時にonix(血管内に注入する接着剤)で止めて、その後中大脳動脈(MCA: middle cerebral artery)を止める。その後手術。塞栓は東京労災病院に優秀な医師がいるので彼にお願いしようとのこと。入院、手術もそちらでお願いするとのこと。売店で母が佐野先生の著書「ホワイトジャックと呼ばれた脳外科医」を購入していた。

9月6日佐野先生からの指示で東京労災病院、氏家宏先生を受診。とても良い先生で「絶対大丈夫だから、安心して任せてください!」と明るくて前向きな言葉をかけてくださり、精神的に参っていた私も家族も救われた気持ちになる。この時点でもうこの病院でお願いしようと心に決めた。塞栓術を担当される比嘉隆医師も紹介してくださる。手術は10月からの予定だが、現在の体調を説明したところ入院させていただくことになった。

9月10日東京労災病院に9:30入院。羽田空港から近い病院で窓から飛行機が飛んでいくのが見える。病室は4人部屋で周りは糖尿病の患者さんが多いように見える。入院させてもらえたことで精神的にとても楽になる。夕方彼女がお見舞いに来てくれた。

9月12日入院3日目、胃カメラの検査を行う。初めての胃カメラだったがネバネバした飲む麻酔薬のおかげか苦も無く終了。昨年、近所の診療所で胃カメラをした際は同じような麻酔を飲んだにも関わらず施術中ずっと吐くようなこみ上げがあったので東京労災病院胃カメラはとても上手だったんだとおもう。検査の結果も特に問題なくきれいな胃でしたよ。とのこと。

9月21日~9月23日実家に一時帰宅。この間ずっと左目の奥が痛む。昔から片頭痛的にこの場所が痛むことが多く、痛みと同時に「ぎゅーんぎゅーん」という耳鳴りのような音が聞こえることが多かった。みんなそうなんだろうと思っていたが、手術後がこの音が聞こえることが無くなったため、増大した奇形血管の血流音が聞こえていたのだろうかと思う。

9月24日から再入院。会社の総務の方がお見舞いに来てくれた。思ったより元気そうでよかったといってくださる。

9月26日氏家先生、比嘉先生と打ち合わせ。10月21日か23日に塞栓術を行い28日に手術を行うとのこと。死亡する確率は0%、マヒが出る確率は2~3%とのこと。

9月29日体調も良かったので午後に外出をさせてもらう。蒲田駅ブックオフに行って村上春樹の小説などをまとめ買いしてくる。大学のころは村上春樹をよく読んでいたのだが社会人になってすっかりご無沙汰していた。こういうまとまった時間はこういう時でないと取れないので少しでも有効に使いたい。

 

9月10日からは入院することになったが入院中は特にやることもないため本を読んだりしていた。朝は6:00に看護師さんが起こしに来て部屋のカーテンを開けていく。8:00から食事。食事が終わったころに脳外の先生たちが集団で回診しに来る。12:00から昼食。18:00から夕食。21:00には消灯、就寝となる。一応ベッドライトがあるので読書等はしていることはできる。風呂は3日に1回程度だったと思う。基本的に寝るか食事をするかしかすることはない。

 

2013年8月脳動静脈奇形、治療方法の模索、セカンドオピニオンの日々

8月1日、慈恵医大セカンドオピニオンに行く。脳神経外科の石橋先生に受診した。AVMの患者さんは結構来ますとのこと。AVMはめまいとは関係ないとのこと、自転車には乗っても大丈夫。(カテーテルに使用する)接着剤による後遺症はない。塞栓してからガンマや開頭ということになるが慈恵では開頭は無い。8月7日のカンファレンスで方針を決めるとのこと。

8月6日彼女の家を訪れる。バス電車で藤沢に住む彼女の家へ。体調が優れない中、よくそこまで行ったと思う。その晩は泊めてもらい翌日海岸を散歩する予定。どうしても夏の海を見たかったのだが、途中で気分が悪くなり引き返す。夕方帰宅。彼女の家に行ったのもこれが最後だったが今から考えると良く一人で藤沢まで行けたと思う。

8月8日慈恵医大へ行く。妹も来てくれた。愛宕ヒルズで昼食をとり、スタバでアイスコーヒーを飲んだ。慈恵医大では方針として2~3回のカテーテル治療を行ったのちガンマナイフを行うとのこと。場所が大事な場所で無症状であることからとのこと。眩しさは関係あるかもしれないとのこと。

8月10日大船の徳洲会湘南藤沢病院にMRAを撮りに行く。額田記念病院の医師からの指示だ。母と彼女が付き添ってくれる。

8月14日横須賀共済病院へ、両親と彼女が来てくれた。担当の医師によると慈恵医大は塞栓のスペシャリストで切る先生はいないとのこと。極力早く社会復帰したい旨を告げると、一気に止めると周りに悪影響が出るので3本入り込んでいる動脈のうち1本を止め全身麻酔で数日寝たままにしておくとのこと。手術で1回で済まないのかと聞いたところ、そういう判断ができるのはベテランの先生で本当に安全かどうかはわからないとのこと。ガンマナイフをお勧めするとのこと。

8月16日会社の総務の方と電話。体を第一に考えて無理をせず休養してほしいとのこと。入社したばかりで申し訳なく思う。

8月20日額田記念病院へ徳洲会湘南藤沢病院で撮ったMRAの結果を聞きに行く。なんとか動脈が反っているとのことでめまいや突発性難聴を起こしやすいとのこと。首の運動やマッサージでほぐしてくださいとのこと。吐き気止めを貰う。

8月21日横須賀共済病院へ。これまでの経緯ではガンマや塞栓しか選択肢に出てこなかったが、早急に病気を治して会社に復帰し彼女との結婚を前に進めたいという思いで開頭手術ができる先生を紹介してくれるようにお願いする。川崎の新川橋病院にいる佐野公俊先生を紹介してもらう。

8月28日川崎の総合新川橋病院へ。佐野公俊先生と初めてお会いする。スーパードクターとのことで秘書がすぐそばについている先生は初めてだった。塞栓を2回ほどやって開頭をしようとのこと。後→前大動脈→開頭とのこと。最終的な姿を考えて組み立てるとのこと。体調が優れず早く治療に移したかったので開頭してもらえる先生に出会えたのは嬉しかった。

8月の下旬あたりから病気に対する不安からか食事ができなくなり、逆流性胃腸炎のような胸やけ、吐き気の症状がでる。食事をとらないことが増えたせいかハンガーノックのようになり体が動かせなくなる。ウィダーや玄米スープのようなものしか受け付けないような状態。

 

 

2013年7月脳動静脈奇形がみつかる

7月1日、地元の脳外へ母に付き添ってもらいMRIの結果を聞きに行く。先生から「まさか何か見つかるとは思っていませんでしたが。」と言って見せられた画像には脳の左側(写真では脳の右下)に3cmくらいの黒くて丸っぽいものが写っていた。脳腫瘍ですか?と聞くと「いえ、これは脳動静脈奇形といって奇形血管の塊です。」との返事。大きな病院に紹介状を書きます。といって地元の総合病院を紹介してくれた。

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7月2日、横須賀共済病院の脳神経外科にかかる。これまでの経緯を説明。一度脳アンギオで検査をしたいので入院してくださいとのこと。

7月9~11日、横須賀共済病院に入院して脳アンギオの検査を受ける。脳にカテーテルをいれて造影剤を注入して脳血管をみる検査だ。アンギオ室に運ばれて鼠径部からカテーテルを挿入して検査をうける。心拍の音が心電図にモニターされてピコーンピコーンと鳴っているのだが心臓付近を通過した時にその音が止まってウッとなる。みんながザワッとした。意識が覚醒した中での検査なので「マジかよ!」とおもったがすぐに回復して事なきを得た。脳で造影剤を注入すると頭の中がカァーっとなって目を閉じていた瞼の裏も赤く光るような感覚になった。すごく嫌な感覚でできれば二度としたくない。検査終了後、病室に帰る途中で看護師さんに「途中で心臓とまりましたよね?」と聞いたら、「そんなことないですよ。」と言っていた。今に思い出しても一種のせん妄だったのかそれとも本当に止まっていたのかはわからない。

7月17日脳アンギオの結果を聞きに横須賀共済病院へ行く。MRIから特に変わった話は無かった。検査受けた意味あったの?と聞きたくなる。治療の方針としては開頭、ガンマがあるがガンマナイフをお勧めするとのこと。色々他の先生のお話も聞いてみたいのでセカンドオピニオンしてみたいがおすすめの病院はありますか?と尋ねたところ横浜労災病院、慈恵医大あたりをお勧めされる。

7月24日横浜労災病院を受診する。新横浜にある大きな病院で待合にドトールがあった。彼女と姉、妹も駆けつけてくれた。脳神経外科の周藤先生に診察してもらう。ガンマナイフの名医として有名な先生だ。先生の所見ではグレード2で表層部の脳動静脈奇形でそれほど複雑ではないとのこと。放置した場合の破裂の可能性は3%だがガンマをすれば1.5%になること。めまいと奇形は関係ないのではないかということ。ガンマをすれば70%くらいの確立で良くなるであろうこと。だった。

7月26日めまいと奇形は関係ないかもという話を聞いて、めまいの名医を探して鎌倉にある額田記念病院を受診する。首に異常があるのかもしれないとのことで次回レントゲンを撮ることになる。

 

7月に入ってからは会社をずっと休んで自宅で寝たり起きたりの状況。1日のなかでも体調がいいときと悪い時がある。横浜のみなと赤十字病院の新井先生のめまいの著書「めまいは寝てては治らない」を購入してめまいリハビリを実行していた。めまいについては当初より良くなった気がする。

 

 

~2013年6月脳動静脈奇形、症状の発症

2013年の4月、ようやく新しいスタートを切った。

市役所の非常勤職員として働きながら国家資格の取得を目指していたが、予想より手間取り、何回も落ちたのちに2012年度にようやく合格。

新しい仕事にも就いて社会人として再スタートだ。

仕事は不動産関係の仕事で基本はデスクワークだが、都心周辺の物件を見に行くことは多々ある。

実家からの通勤のため片道2時間近く通勤にはかかる。

長く付き合った彼女がいる。

なかなか資格が取れなかったため一度別れていたが、ようやくよりを戻すことができた。

結婚を待たせた彼女のためにも頑張りたいと思っていた。

 

6月、徐々に仕事にも慣れてきた。彼女との結婚も決まってご両親に挨拶に行ったり、結婚式場を探して回っていた。そんなとき、彼女と立ち寄ったモスバーガーで注文をしたあと商品を受け取ろうとしたら落としてしまった。店員さんが気を利かせて再度渡してくれたがそれも落としてしまい彼女に心配されるということがあった。また、式場の下見に行ったとき、カウンターのピンスポットライトを見ていると妙に気持ち悪く落ち着かない気分になることあった。喫茶店で休憩して帰ったが頭がじりじりとして追い立てられるような気分になった。だがこのころはまだ新しい環境に疲れがでているのだろうと考えていた。

6月16日、前日会社帰りに彼女の家に泊まって、今日は彼女は会社なので一人でビデオを見て過ごした。

片肘をついた姿勢でずっと過ごしたせいか首とか頭とか調子悪い。

6月19日、仕事の後に彼女と待ち合わせて夕食をした。

チャーハンとビールを飲んでいたが途中気持ちが悪くなる。

歩いて駅まで行く途中でフラフラ感がひどくなり休み休み歩いた。

駅のホームの明かりが脳を刺すようにまぶしくて気持ちが悪い。

彼女に付き添ってもらって何とか帰宅。

翌6月20日は出社したが体調が優れずフラフラする。上司と関連会社でミーティング後、直帰させてもらいグリーン車で寝て帰る。

6月22日近所の診療所へ、血圧・血液検査を行う。血圧が低いとの指摘で血圧を上げる薬を処方される。

6月23日、日曜だが仕事で現場の内覧会に行くが調子が悪く頭がフラフラする。吐き気がある。

6月24日、朝から現場に直行したが一歩歩くたびに脳がグラグラして吐き気に襲われる。コンビニのトイレを借りるが嘔吐はしなかった。早退して地元の眼科に行くが特に異常はないとのこと。ついでに脳外科にいったところ念のためMRIを撮影しようとのこと。週末に撮影することに。

6月25日、出社したがフラフラしていたところ、その様子をみた入社時にお世話になった総務の方に呼び止められる。家に帰ってちゃんと休むように、病気の原因がわかるまで出社しなくていいと指示される。結局この日が会社で働いた最後の日だった。午前で早退して地元の耳鼻科にかかる。めまいの症状を伝えたところ、眼振の検査などをして漢方薬を処方される。

6月29日地元の脳外でMRI撮影。電車で行ったが頭がグラグラして歩くのがとても辛い。結果は明後日とのこと。