脳動静脈奇形(AVM)開頭手術と聴神経腫瘍ガンマナイフ

脳動静脈奇形(AVM)と聴神経腫瘍の闘病の記録です。

2020年6月定期検査(ガンマ施術より1年11か月)、オンラインお茶会

コロナ騒動も油断が出来ない状態ですが、若干の落ち着きを取り戻しつつある感じです。

3月くらいから聴神経腫瘍の会の皆さんとZOOMによるオンラインお茶会に参加させて頂きました。

本来は直接会ってのお茶会の予定だったものがコロナの影響でオンラインでの開催になったようです。

普段からめまいや吐き気感があり、数時間かけての移動は体に負担が大きいので、私にとっては参加の敷居が下がってよかったです。

同じ病気の方たちと情報交換できる機会は他にないので、とても参考になっています。

また、わたしのように会社を辞めてしまうとコミュニケーションの範囲がとても狭くなってしまうので、毎月開催してくれてとても助かっています。

もしも聴神経腫瘍にかかってしまって相談できる人がいないという方がいれば是非参加をお勧めします。

フェイスブックのグループから参加できます。

同じ悩みをもつ方たちとお話することで自分の心理的負担がとても軽くなったように思います。

皆さんとても気さくで素敵な方たちです。

 

感染の不安はあったものの6月30日に定期検査に行ってきました。

5月末ごろからめまい感が酷く、ずっとクラクラしていたのでもしかすると拡大傾向にあるんじゃないかと不安を感じていました。

しかし、結果的には前回と殆ど大きさは変わらず、2年前のガンマを受ける以前の状態と比較して若干縮小しているという結果でした。

f:id:robita:20200702133607j:plain

左が2018年6月、右が2020年6月のMRI画像

脳幹部への圧迫した痕も見られないということで経過は良好のようです。

小さくなりつつあるという兆しが見えれば、後は徐々に小さくなってくれるのではないだろうという予測がついて心理的にとても楽になります。

これまで変化が無く今後に不安を感じていたので多少でも縮小していてとても嬉しいです。

 

2020年4月~今後について

休業してから1年半までは傷病手当金

傷病手当金について | よくあるご質問 | 全国健康保険協会

 という制度があり満額ではないものの、それまで貰っていた給料の半分くらいがもらえるためそれを利用させてもらい、実家にもいたため生活には困らなかったが、そろそろできる限りで社会復帰していきたい。

現在の体調的に通勤がしんどいので可能ならばテレワークが可能な職業または自宅から通える距離でということでかんがえていたのだが、2月頃からの新型コロナウィルスの流行が予想以上に深刻で予断を許さないため、社会復帰はしばらくは難しそうだ。

健常者の方々も失職される方が多い現状ではとにかく自身がコロナウィルスにかからないように気を付けながら自宅で静養を続けるしかない。この状況では社会復帰どころか病院への通院すらままならない。私は2月はMRIを受けるため通院したが、それ以外の日はほとんど外出することもなく自宅と近所の公園の散歩程度で過ごしている。5月のMRIの検査では通院できるだろうか。脳腫瘍とコロナウィルスとの関係性はあまり語られないが、コロナで髄膜炎を起こしている患者が発生しているらしいので脳への影響が全くないとは言い切れない。とにかく医療崩壊の危険性も叫ばれている今はこれ以上医療機関への負担を増やさないで済むように自宅で待機しているしかない。とはいえ頭が痛かったり、気持ちが悪かったりするとこれはヤバいんではないかといつも以上に緊張する。医療崩壊を起こしたあと、今までどおりに主治医の先生の診察が受けられるかはわからないのだから。今はそのような事態が起きないよう祈るような気持ちだ。そしてこの非常時も最前線で働いてくださっている医療従事者の皆様に心からの感謝とエールを。

2018年8月~2020年4月自宅静養の日々

2018年8月からは3か月おきに通院してMRIをしながらガンマナイフの効果によって腫瘍が縮小してくれるのを待った。横浜労災病院脳神経外科周頭先生はHPで過去の110例の聴神経腫瘍患者に対して行ったガンマナイフ施術後の経過を公開している。

ガンマナイフ|病院コラム|横浜労災病院

 それによると72%が縮小20%は大きさが変わらなかったとのこと。また、半年くらいまで少し膨張して、その後縮小していく傾向があると書かれている。グラフの縦軸は体積(治療時が100%)、横軸は月数、赤い線は平均値。

 

f:id:robita:20200408195148j:plain

横浜労災病院脳神経外科ホームページより転載。https://www.yokohamah.johas.go.jp/column/2018/10/5.html

比嘉先生は結構気楽に「すぐに小さくなりますよ。」と言っていたが1年程度は結果がでるまで待たないといけないらしい。また体調的にもあまりいいとは言えず、以前は歩いて行けた公園までの距離がとてもしんどくて途中で倒れるんじゃないかという感じで回復までには時間がかかるのではないだろうかと感じた。その後あっという間に時が過ぎてしまい年末あたりになっても体調に不安があったため、会社は一度辞めさせてもらい一人暮らしの家を引き払って実家に戻ることにした。それからさらに1年以上が過ぎ現在に至るが、3か月ごとにMRIを行っているものの腫瘍の大きさに変化はなく現状維持の日々が続いている。体調についても左目周辺の違和感や左目奥の重いような感じや吐き気、気持ち悪さなどは依然として残っている。

 

2018年7月ガンマナイフ施術

7月16日に実家に帰る。入院まで実家に滞在し、当日は父と姉に付き添ってもらう予定だ。

7月18日父に自動車で熱海所記念病院へ連れて行ってもらう。

脳腫瘍、転移性脳腫瘍のガンマナイフによる治療なら熱海所記念病院までTOP

途中町田で暮らす姉をピックアップして熱海へ。父と姉には熱海に宿をとって付き添いをお願いした。お昼を熱海のジョナサンで。すっかり夏の海で観光地らしい風景でこれから入院治療をうけることを忘れてしまいそうだ。その後病院へ行き入院の手続きを行う。今回受けるアイコンというガンマナイフは最新式のため頭にフレームをねじで固定する必要がなく、その代わり、顔に被せて頭を固定するマスクを制作する必要がある。18日中にマスクを制作してその日にやることは終了。19日はいよいよガンマナイフの施術だ。父と姉も駆けつけてくれ、車いすでガンマ室に運ばれる。ガンマナイフの照射時間は30分から1時間くらいだったと思う。MRIのような機械の中に寝かされて、それ自体は痛くも痒くもない。しかし、頭をがっちり固定されているせいか圧迫されすぎて段々と頭が痛くなってきた。それでも最初は我慢できると思っていたが途中からこれ以上は我慢できないというくらい痛くなってきて、「非常のときはこれを押して教えてください」と渡されていたボタンを押す。「どうしましたか」と言われて、耐えきれないくらい頭が痛い。と伝えたが「あとちょっとなんで我慢して下さい」と言われる。結局その後5分くらい我慢してようやく解放される。先生からは「予定通り18グレイで照射ができました。」と言われたと思う。その後は病室へ。夕食はハンバーグで量が多くて食べきれなかった。翌日は退院だったが頭が痛いような気持ち悪いような感じで食欲もなく体調が優れない。先生は「そんなことないと思うんだけど」と言っていたが、看護師さんは「そういう患者さんは結構いらっしゃいます。」とのこと。痛み止めを処方してもらいお昼頃退院する。初めてのガンマナイフだったが開頭に比べると圧倒的に体への負担が少ない。前回のような感染症のリスクがないのも素晴らしい。あとは結果が伴ってくれれば良いのだが。その後実家に戻ったが体調がすっきりせず寝たり起きたりの日が続いた。

f:id:robita:20201114133942j:plain

入院時に配布された熱海所記念病院のガンマナイフ治療を受ける患者向けのパンフ(2018年7月当時)

f:id:robita:20201114133954j:plain

入院時に配布された熱海所記念病院のガンマナイフ治療を受ける患者向けのパンフ(2018年7月当時)

2018年6月聴神経腫瘍が見つかる。聴神経腫瘍の治療方法選択について。

f:id:robita:20200406182021j:plain

 

サラリーマンとして順調に毎日を過ごしていたが、2月ころに夜中パソコンを見ていると左耳が「キーン」という感じの耳鳴りして気になることが何度かあった。また、スーパーで買いものをしているとめまい感が強くて危ないと感じるが多くなってきていた。

5月29日東京労災病院で3か月に1回のMRIの定期検査をうける。先生との問診の際に2月ころから耳鳴りの症状がたまにあることを告げると、先生の様子が変わって、以前からのMRI画像を再度チェックして、「造影剤を使ってMRIを撮りましょう」と告げられた。
6月4日に造影MRIを行った。通常のMRIでは見えづらいが造影剤を使うと腫瘍の形がはっきりとわかる。小脳橋角部に3cm程度の腫瘍が出来ている。神経鞘腫という聴神経を覆う鞘が腫瘍化したものらしい。一般的に聴神経腫瘍と呼ばれている。外観からは良性腫瘍だと思うとのこと。場所的なものと悪性腫瘍だと外形がはっきりせず侵襲していく形態をとるからということらしい。正確に判定するためには組織をとらないといけないらしい。ものを直接見ることが出来るという意味では手術をしたほうがいいが、ガンマナイフ、経過観察という選択肢もあるとのこと。選択肢は前回の脳動静脈奇形と同じである。前回のように開頭した場合の感染症のリスクの大きさとまだ前回の開頭から十分に心身が回復しきれておらず、かと言って経過観察では大きくなっていくのを放置することになりかねない。3cmという大きさはガンマをするにはギリギリといわれているからこれ以上大きくなってしまうと選択肢が減ることになってしまう。となるとおのずとガンマという選択肢になる。なにより今回は前回のように体調が悪く早く処置をして欲しいというほどではなく、早く社会復帰しないといけないというようなプレッシャーも無かった。また個人的に聴神経腫瘍について調べたところ北海道のさわむら脳神経クリニック澤村豊先生のホームページ

聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫) | 脳外科医 澤村豊のホームページ

に判断基準について詳しく書かれており、ガンマの選択がよさそうだというあたりはつけてあった。こちらから「今回はガンマで行きたいです。」とお願いをすると「そうですね」という感じだったと思う。東京労災病院にはガンマがないので他の病院を紹介しますとのことで、熱海にある所記念病院という病院の中谷医師を紹介して頂いた。耳鼻科で聴力の検査をしてもらってくださいとのことだったので、住まいの近くの耳鼻科で聴力をしてもらったが、この時点では聴力は左右とも通常と変わらず正常値だった。

会社は6月15日まで働いて以降は休職させて頂くことになった。6か月以上休職はできないのでそれ以降は退職ということになるとのこと。しかし、治ったら再雇用もできると思うのでしっかり治してほしいと言ってくれた。

6月18日熱海所記念病院に行く。電車で熱海までいったのは初めてだったが最近リニューアルされたらしく駅前に足湯があったりしてとても綺麗になっていた。父と姉も同行してくれて熱海で合流する。熱海所記念病院はタクシーで駅から数分のところだった。中谷医師から最新のガンマナイフ(アイコン)を導入したばかりで7月から稼働するとのことでできれば初期不良とかが出きってからがいいなと思ったが、そういったことは絶対にないと言われた。セカンドオピニオンをして治療方法や医師の選択に時間をかけたほうが良かったのではという見方もあると思うが今回はガンマで行くというのはもう決めており、医師についても恐らくガンマナイフならそれほど差がでないのではないだろうかと思っていたのでそれほど迷わなかった。ガンマナイフの名医としては女子医大の林先生が有名だが、中谷先生も女子医大とつながりが深く、現在も女子医大で林先生とともに外来を担当されていることから非常に高い能力をお持ちのことは間違いないだろうと思っていた。また直接会った印象も安心してお任せすることができるものだったので、中谷先生にお世話になることに決めた。

2015~2018年手術後の生活

2015年から社会復帰を考え始めたが、障害者となってしまったので以前の職場には復帰することはできず、障害者枠で新たに仕事を探すことになった。せっかく取った国家資格を生かせる職場がいいと思ったものの専門性のある求人は障害者にはほとんどない。とりあえず体調面を重視して通いやすい場所、無理のない仕事内容、当初は週の半分くらいの勤務などを重視して仕事を探すことにした。県の障害者就労サポーターの方にサポートして頂いて色々と探したがなかなか仕事に就くことができなかったが、地元の総合病院の事務として障害者枠で採用して頂くことができた。この病院ではないものの医療にお世話になったものとして少しでも医療関係で働くことでお返しが出来ればという気持ちもあった。そちらにはしばらくお世話になったが、障害者ということで仕事量が少なく暇を持て余すことが多いことや将来的に自立していくには給料が少なかったことなどから転職を決意。実家からは少し離れたところで一人暮らしをして新しい仕事をはじめることになった。大企業の工場の事務的なポジションの障害者枠に採用して頂き、職場からバスで5分くらいの駅前にマンションを借りて新しい生活を始めた。久しぶりの一人暮らしは体調に不安がある身としては少し不安なもののとても気分が良く、ようやく自分で生活できるところまで回復できたという喜びにあふれていた。手術以前からの趣味だったロードバイクも短い距離の平坦ながらも再開したり、おいしい日本酒を探して酒屋巡りしたりと健康であることの喜びを感じることができた時期だった。

しかし、左目の奥が気持ち悪いような嫌な感じは手術後からずっと続いていて、もしかすると酸素が頭に足りていないんではないだろうかと酸素ボンベをアマゾンで買って試したりしていた。問診の際には目の奥がおかしいと先生に告げるが特に問題は見当たらないといわれる。病院には3か月に1回通いMRIを受けていた。入院時に食事が食べれなかった反動で退院後はたくさん食べてしまい、10kg以上太ってしまったので最近では病院でもコリステロールなどを指摘されることのほうが多くなってきている。

2014年1月~2014年6月頭骨再建手術

2014年のお正月は実家で過ごすことができた。病院内では食べることが出来なかった寿司やピザを食べたいといって出前を取ってもらったりして調子に乗ったせいか1月7日に体調が悪くなり、再度入院することになってしまった。病院で安静にして過ごし21日に退院。

普段は体調を見ながら公園で散歩をしたり、夕方には横になったりして過ごし6月23日に頭骨形成手術を受けた。以前汚染された頭骨の代わりに入れたチタンプレートはその場しのぎ的なものだったのでちゃんと事前にMRIで頭骨をスキャンして3Dプリンタで頭骨の形を作ってからそこにフィットするように整形されたチタンプレートと置き換える手術だった。その際に作られた頭骨のモデルはプレゼントしてくれたが正直置き場所に困る。開頭する以上安易な手術では無いが、以前の手術に比べると全然楽で、術後もICUに入らず直接病室に戻ってくることができた。頭を触った感じも以前と違ってかなりしっかりした感じで押してペコペコするようなことはなくなった。7月14日に無事退院。しかし、7月31日に体調不良で再度入院。8月14日に退院。9月25日にも体調不良で再入院、10月7日に退院している。その後は当初数か月は1か月に1回通院していた。f:id:robita:20200405165156j:plain